値上げを言い出せない理由の上位3つは、どれも交渉が始まる前にあります。国の指針は、根拠に使う資料を「最低賃金の上昇率などの公表資料でよい」としています。自社の原価表は作らなくて大丈夫。東海の中小向けに、今日できる4行のメモまで整理しました。
結論から書きます。「値上げを言い出せない」の理由の上位3つは、どれも”交渉が始まる前”にあります。そのうち2つは相手のある話ですが、残る1つ——自社の人件費がいくら上がったか分からない——だけは、今日、自社の側だけで動かせます。
ここに、国が出している答えがあります。国の指針は、値上げの根拠に使う資料を「最低賃金の上昇率、春季労使交渉の妥結額やその上昇率などの公表資料を用いること」と書いています(春季労使交渉=いわゆる春闘のことです)。自社の原価表は、作らなくていい。これが今日いちばんお伝えしたいことです。
※価格転嫁(かかくてんか)=人件費や材料費が上がった分を、売る値段に上乗せすること。この記事は、そのうち人件費(国の資料では「労務費」と呼びます)の話です。公表資料=国などが公に発表していて、だれでも見られる資料のことです。
紙でもスマホのメモでも構いません。席に着いたまま、数分ほどでできます。
③が空欄のままだと、④は決まりません。国の指針は、交渉を切り出すタイミングの例として「最低賃金の引上げ幅の方向性が判明した後」を挙げています。③で最低賃金を選べば、④はそこから決まります。手が止まるとしたら、それは③です。今日の1手は、④の日付まで書いて完了です。
なお、この1手は④までです。相手のいる話なので、今日中に「言う」ところまで行く必要はありません。
次の3つが当てはまる方です。
買う側(発注者=仕事を出す側)の立場しかない方へ。持ち帰りが1つあります。「自社は、取引先に原価の内訳を出させていないか」を確かめてください。国の指針は、説明や資料を求めるなら公表資料に基づくものとするよう、買う側に求めています。詳しくは後の章で書きます。
すでに値上げが通っている方へ。「通った」で終わらせず、次はいつ話すかが決まっているかを確かめてください。指針は買う側に、1年に1回や半年に1回など定期的に協議の場を設けるよう求めています。
継続的な受発注がない方(店頭のお客様が中心の小売・飲食・美容など)へ。今日は関係の薄い話です。値決めそのものの考え方は「安く請けるのは『やさしさ』ではない|中小企業の値決めの基本」にまとめていますので、そちらをどうぞ。
① これは「言えば通る」という話ではありません。根拠を用意しても、通らないことはあります。この記事が扱うのは「通る確率」ではなく、そもそも話を始められるかどうかです。
② 相手を悪者にする記事でもありません。後で数字を挙げますが、買う側の状況は良くなってきています。公正取引委員会が、協議もせずに価格を据え置いていた買う側へ送っている注意喚起の文書。その対象になった会社の割合は年を追って下がっており、同委員会はこの状況について改善がみられた、と書いています。敵を作る話ではなく、すれ違いをほどく話です。
まず、この地域の実態から見ます。
名古屋商工会議所が、2025年11月7日から28日にかけてインターネットで調査を行い、その結果を2025年12月10日に「中小・小規模企業の賃上げを支える『労務費転嫁』の実態」(第55回定期景況調査の抜粋版)として公表しています。回答は1,318社。そのうち、価格転嫁の必要があり、かつ取引で受注者(仕事を受ける側)の立場にあると答えた811社を分析対象としています。
この811社の内訳も、同会議所が公表しています。企業規模は小規模(従業員20人以下)が60.0%、中小(21〜300人)が34.5%、大企業(301人以上)が5.4%。業種は製造業32.4%、建設業15.9%、卸売業15.7%、サービス業15.3%、小売業3.5%、その他17.3%。ものづくりと、その周りにいる会社が多い母集団です。(名古屋商工会議所の調査ですから、東海3県を代表するものではありません。)
ここで少し自己紹介をさせてください。独立前の私は、製造業をはじめとする5つの業種で、15年ほど現場にいました。いまは名古屋で、東海の中小企業の外部CMO(社外のマーケティング責任者)をしています。ここから先は、2つの公的な調査と国の指針、それを読んだ私の見立てです。
同会議所の報告によると、まったく転嫁できていない、または転嫁できたのは2割に満たないと答えた企業の割合は、人件費(労務費)で50%、エネルギー価格で47%、原材料費で36%。人件費がいちばん通りにくいという結果です。
理由は想像がつきます。材料費は請求書という形で外から来ますが、人件費は自社の中で起きることなので、外から見える証拠になりにくい。そこで多くの会社が「うちの人件費がいくら上がったか、まず自分で計算しなければ」と考え、そこで止まります。
同会議所は、労務費の転嫁が進みにくい要因(複数回答)の上位3つを、次のとおり報告しています。
そして同会議所は、選択肢を交渉の前と後に分けたところ、上位3つの要因がすべて交渉の前の段階に偏ったと分析しています。
ここが大事なところです。3つのうち2つは相手のある話ですが、残る1つ——「いくら上がったか分からない」——だけは、今日、自社の側で動かせます。しかも、その動かし方を国が書いています。
内閣官房と公正取引委員会が出している「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」という文書があります。令和5年(2023年)11月29日に作られ、令和8年(2026年)1月1日に改正されています。買う側が採るべき行動6つ、受ける側が採るべき行動4つ、双方共通の行動2つ、合わせて12の行動がまとめられています。
このうち、受ける側=読者の側の「行動②」が、今日の1手そのものです。指針の本文から引用します。
発注者との価格交渉において使用する労務費の上昇傾向を示す根拠資料としては、最低賃金の上昇率、春季労使交渉の妥結額やその上昇率などの公表資料を用いること。
受注者の自主的な判断で自社の労務費の状況を発注者に示すことを否定するものではないが、労務費を含めた自社のコスト構造を発注者に開示することにより、逆に発注者からコストを査定され原価低減を求められる可能性もある。そもそも、労務費上昇分の価格転嫁の交渉に際し、根拠資料を用いずに行い価格転嫁が認められる場合や、根拠資料として自社の労務費に関する情報を発注者に開示せずに行い価格転嫁が認められる場合もあるものと考えられる。
短い文章ですが、3つのことが書かれています。
「原価表を作らなくていい」だけではありません。作って見せると、別のリスクがあると国が書いている——ここが、手を止める理由から手を動かす理由へ変わる分かれ目だと私は考えています。
では、何を出せばいいのか。指針は、関係者がその決定プロセスに関与し、経済の実態が反映されていると考えられる公表資料の例として、次の4つを挙げ、これを用いるべきだとしています。
| 指針が挙げている公表資料 | 主にどんな取引で使うか(名称から分かる範囲) |
|---|---|
| 都道府県別の最低賃金やその上昇率 | 業種を限定していない |
| 春季労使交渉の妥結額やその上昇率 (いわゆる春闘の妥結額) |
業種を限定していない |
| 国土交通省が公表している公共工事設計労務単価における関連職種の単価やその上昇率 | 建設・工事(国が公共工事の積算に用いる、職種別の人件費の単価) |
| 一般貨物自動車運送事業に係る標準的な運賃(令和6年国土交通省告示第209号) | トラック運送 |
指針はこのほかにも、労務費の上昇を示す根拠資料の例として、厚生労働省が公表している毎月勤労統計調査に掲載されている賃金指数・給与額やその上昇率、総務省が公表している消費者物価指数、ハローワーク(公共職業安定所)の求人票や求人情報誌に掲載されている同業他社の賃金を挙げています。
東海の中小に当てはめると、こうなります。製造・卸売・サービスの多くは上の2つ。建設・工事なら公共工事設計労務単価が名指しで挙がっています。トラック運送なら標準的な運賃です。名古屋商工会議所の調査で、分析対象811社のうち建設業が15.9%を占めていたことを思い出してください。「うちの業種に合う公表資料が無い」という状況は、まず起きないと私は考えています。
なお、東海3県の最低賃金の額(いまの額と、2026年10月1日から変わる額)は、別の記事に、各労働局の公表ページを出典としてまとめてあります。額そのものは「求人票の賃金は相場ではなく式で確かめる|東海3県は10月1日改正」をご覧ください。この記事では「どの資料を使うか」だけを扱います。
ここからは全国の話です。公正取引委員会が「令和7年度価格転嫁円滑化の取組に関する特別調査」の結果を2025年12月15日に公表しています。通常調査では11万名に調査票を送り、31,888の回答がありました。
先にお断りしておくと、ここから挙げる割合は、設問ごとの回答者数(母数)が公表資料に示されていないものです。ですから「31,888者のうち何%」と読まないでください。あくまで、その設問に答えた人の中での割合です。(同じ調査でも、値上げを要請した割合や指針の認知度のように、母数が明示されている設問もあります。後の章で挙げる注意喚起文書の割合も、通常調査の回答者数を母数とするものです。)
(前略)全ての受注者と定期的な協議の場を設けた発注者の割合は27.1%(令和6年度調査比3.4ポイント上昇)であり、昨年度に比べて微増したものの依然として少ないことから、多くの発注者は、受注者から協議を要請されれば応じるが、発注者自ら協議を呼び掛けることには依然として消極的であることが分かる。
私の推測ではなく、国の結論です。「要請されれば応じるが、自分からは呼び掛けない」。これが、多くの取引で起きていることの正体です。
ここで数字の読み方を1つだけ、正確にしておきます。上の27.1%の裏側は72.9%(前年度から3.4ポイント下降)ですが、これは「一部の受注者とのみ定期的な協議の場を設けた」会社と「定期的な協議の場を設けなかった」会社を足した数字です。「72.9%が待っているだけ」ではありません。一部の取引先とはきちんと定期的に協議している会社が、この中に含まれています。
同じ調査で、コスト上昇分について協議もせず価格を据え置いていた理由を尋ねたところ、注意喚起の文書の送付対象になった買う側から「受注者から取引価格の引上げの要請がなかったため」という回答が多く選ばれました。その結果について、買う側から次のような意見が出ています。
・ 受注者からの見積りには、協議するまでもなく、当然にコスト上昇分が含まれていると思っていることから、値上げの相談がなければ協議を行っていない
・ コスト上昇分について価格転嫁を要請するよう働き掛けていることから、要請がなければ、協議の場を設ける必要はないと考えている
・ コスト上昇分について価格転嫁を要請するよう働き掛けるまではしていないものの、受注者から協議を申し入れてくれれば、協議を行うつもりである
などの意見がみられ、発注者から進んで価格協議の呼び掛けはしないが、受注者から価格転嫁の要請があれば必ず協議に応じるとする発注者が存在しているほか、発注者が価格協議を呼び掛けたことで、受注者からの要請がなければ、価格協議の場を設けなくてもよいとする発注者が存在した。
なお、同じ調査は、このほかに、自身が発注者である取引において価格転嫁をするという意識を持っていなかったり、取引価格の引上げを受け入れる原資がないとしたりする買う側も存在した、と書いています。相手にも、払う元手が無いという事情がある場合があります。この点は、あとの「それでも「言えば通る」ではない」の章でもう一度触れます。
そのうえで、引用の3つめを読んでください。「受注者から協議を申し入れてくれれば、協議を行うつもりである」。拒んでいるのではなく、待っている会社が現にいる。1つめは、もっと切実です。「見積りに全部入っているはずだ」と思われている。据え置きの見積を出し続けることが、相手には「うちは困っていません」という意思表示に見えている、と私は読みました。
公正取引委員会は、令和7年7月から11月にかけて立入調査(職員が実際に会社へ出向いて行う調査)を462件行い、その中で確認された「問題につながるおそれのある事例」を都道府県別に公表しています。愛知県は5件、岐阜県は3件、三重県は3件。会社名はすべて「A社」と伏せられています。
この中の、愛知県の1件を引用します。
生産用機械器具製造業者A社は、生産用機械器具の加工を金属加工業者(受注者)に委託している。A社は、受注者との取引価格について、受注者が示した見積額に受注者が必要とするコストが全て含まれていると考え、受注者から引上げの要請がなかったことから、コスト上昇分の取引価格への反映の必要性について、価格交渉の場において協議することなく、取引価格を据え置いていた。
読み方には注意が必要です。これは「違反が認定された」という話ではありません。公正取引委員会が使っている言葉は「問題につながるおそれのある事例」で、しかも462件の立入調査の中で確認されたものとして公表された事例です。「愛知には5件しかない」でも「愛知の5社が摘発された」でもありません。
そのうえで、東海で仕事を受ける側にいる方には、この1件が刺さると思います。「見積に全部入っていると考え、要請が無かったので据え置いた」。先ほどの買う側の意見と、まったく同じ形をしています。国が全国で調べて、愛知でもこの形が見つかった、ということです。
ここは丁寧に書きます。根拠をそろえれば通る、という話にはしません。
まず、先ほど触れた点から。公正取引委員会の調査には、取引価格の引上げを受け入れる原資がないとする買う側も存在した、と書かれていました。こちらの根拠が整っていることと、相手が払えることは、別の話です。そのうえで、数字の読み方を4つ置きます。
先ほどの調査で、指針の「要請があれば協議のテーブルにつくこと」について、要請があったものについては全て(必ず)協議を行ったなどと回答した買う側の割合は86.7%(前年度から1.0ポイント下降)でした。
この数字には2つ注意点があります。1つは「などと回答した」、つまり買う側の自己申告だということ。もう1つは、これが「協議に応じた」割合であって、「値上げが通った」割合ではないということです。
通った側の数字は別にあります。労務費の要請受諾率は67.4%(前年度より5.0ポイント上昇)。要請受諾率とは、価格転嫁を要請したときに、要請した額に対してどの程度まで取引価格が引き上げられたかを示す割合です。
なお、要請受諾率は、受注者が価格転嫁を要請した場合に、要請した額に対してどの程度取引価格が引き上げられたかを示すものであるが、その要請額は、実際のコストの上昇分の満額ではなく、上昇分のうち受注者が発注者に受け入れられると考える額に抑えられている可能性があることに留意する必要がある(以下同じ)。
つまり「上がった分の67.4%が通った」ではありません。そもそも要請する額の時点で、受ける側が遠慮して低く出している可能性がある、と国が認めています。実際に通っている割合は、67.4%より低い可能性があるということです。ここを丸めて「7割近く通る」と読むと、期待が現実と離れます。末尾の「(以下同じ)」は、この但し書きが同じ報告書の他の割合にも当てはまる、という意味です。
指針は買う側の行動③として、こう書いています。
労務費上昇の理由の説明や根拠資料の提出を受注者に求める場合は、公表資料(最低賃金の上昇率、春季労使交渉の妥結額やその上昇率など)に基づくものとし、受注者が公表資料を用いて提示して希望する価格については、これを合理的な根拠があるものとして尊重すること。
そのうえで指針は、これらの公表資料で示された以上の上昇率を要請する受注者に対して追加の説明や資料を求める場合であっても、受注者の過度な負担とならないよう配慮することが求められる、と続けています。公表資料の範囲内なら尊重される。それを超える率を求めるなら、追加の説明を求められることがある——この線を知っておくと、③で何を書くかが決めやすくなります。
先に、法律の名前を1つだけ整理します。下請代金支払遅延等防止法(下請法)は、2026年1月1日から「製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律」(略称:中小受託取引適正化法、通称:取適法)に変わりました。協議に応じずに一方的に代金を決めることについてのルールも、ここにあります。自社の取引が対象になるかどうかには条件があるので、「下請法が『取適法』に変わった|発注側も受注側も知る新ルール」をご覧ください。
そのうえで、ここも正確に書きます。公正取引委員会は、12の行動のうち買う側の行動②(発注者からの定期的な協議の実施)・③(説明・資料を求める場合は公表資料とし、満額受け入れない場合にはその根拠や合理的な理由を説明すること)・⑤(要請があれば協議のテーブルにつくこと)の3つについて、取り組まないことが独占禁止法および取適法の違反の要件に直接結び付くものだと書いています。逆に言えば、12すべてが直ちに違反に結び付くわけではありません。
そして指針は、買う側が指針の行動に沿わない行為をすることにより公正な競争を阻害するおそれがある場合には厳正に対処するとしつつ、買う側と双方共通の全ての行動を適切に採っている場合には、通常は独占禁止法・中小受託取引適正化法上の問題は生じないと考えられる、としています。使われているのは、違反そのものの断定ではなく「問題となるおそれ」という言葉です。
その取引が法律の上でどう評価されるかは、この記事では判断できません。個別の判断は、公正取引委員会や中小企業庁が設けている相談窓口、弁護士など該当分野の専門家にご確認ください。指針も、受ける側の行動①として、国・地方公共団体・中小企業の支援機関などに相談して情報を集めてから交渉に臨むことを挙げています。
ここは、この記事でいちばん書いておきたい章かもしれません。「相手は動かない」と決めつけると、こちらの一手も鈍るからです。
公正取引委員会は、コスト上昇分について協議もせず価格を据え置いていた買う側に、注意喚起文書を送っています。通常調査の回答者数に占めるその送付対象者の割合は、令和4年度21.2%→令和5年度14.7%→令和6年度13.3%→令和7年度9.8%と、年を追って下がっています。同委員会はこれを減少傾向としたうえで、買う側による独占禁止法Q&A(同委員会がウェブサイトの「よくある質問コーナー(独占禁止法)」で示している考え方)に該当する行為がなされる状況について改善がみられた、と書いています。
個別に説明した効果も出ています。同委員会は、2年度続けて注意喚起文書の対象となった買う側2,357名に対し、個別に考え方を説明しました。その結果、3年度続けて協議を経ずに据え置いていたと回答した買う側は44名にとどまった、としています。
さらに興味深いのは、買う側の取組事例です。公正取引委員会は、指針を知っていて、かつ指針に沿った取組を行っていると回答した買う側・受ける側92名から取組事例を聴き取り、公表しています。これは全体の姿ではなく、「こういう会社もある」という例です。その中から。
労務費上昇分の価格転嫁について、どのように申請すればよいか分からないという受注者が多かったため、労務費転嫁の申請フォーマットを作成し、大まかな計算式を示し、これを用いて受注者に申請してもらうようにした。【生産用機械器具製造業】
受注者から価格引上げ要請をどのように行えばよいか分からないとの相談を受けた際、具体的数値は示さないまでも、労務費等の上昇率を踏まえてどの程度の価格引上げが必要であるかを整理するなど他の受注者が実際に行った要請方法を参考に示したことがある。【はん用機械器具製造業】
受注者からの要請額に対して、当社として受け入れられない根拠が明確でない限り、満額で回答している。【総合工事業】
「値上げの言い方が分からない」のは読者だけではありません。買う側もそれを知っていて、書式まで作って教えている会社が現にあります。
だからこの記事は、「相手が悪い」とは書きません。相手を責める材料を増やしても、来月の単価は1円も動きません。動くのは、こちらが根拠を1つ決めて、話を始めたときです。
ここまでを踏まえて、もう一度4行に戻ります。
全部を一度に動かそうとすると、どれも動きません。いちばん長く価格が据え置かれている先を1社選んでください。指針も、長年価格が据え置かれてきた取引や、スポット取引(そのつど単発で受ける取引)と称して長年同じ価格で更新されているような取引では協議が必要だと、わざわざ注意しています。
思い出せないなら「思い出せない」で構いません。それ自体が、③で選ぶ資料の期間を決める材料になります。「3年前」なら3年分の上昇率、「思い出せない」なら、まずは直近1年分から。
先に表で挙げた4つの公表資料から1つ選んで、名前を書くだけです。「愛知県の最低賃金の上昇率」でも「春闘の妥結額の上昇率」でも構いません。計算するのは今日ではありません。今日は”何を根拠にするか”を決めるだけ。
実際にそうしている会社もあります。公正取引委員会が公表した受ける側の取組事例には、発注者に対し労務費上昇分の根拠資料として最低賃金の上昇率を文書で提示し、毎年定期的に交渉している、という道路貨物運送業の例が挙がっています。過去10年間の最低賃金の上昇率の推移を確認して製品1個当たりの労務費上昇分を算出した、というはん用機械器具製造業の例もあります。いずれも、自社の原価表を相手に開いてはいません。
③が決まれば、④の「いつ言うか」についても、指針は受ける側の行動として、交渉のタイミングの例を挙げています。
・ 発注者の会計年度に合わせて(発注者が翌年度の予算を策定する前)
・ 定期の価格改定や契約更新に合わせて
・ 最低賃金の引上げ幅の方向性が判明した後
・ 国土交通省が公表している公共工事設計労務単価の改訂後
・ 年に1回の発注者との生産性向上の会議を利用
・ 季節商品の棚替え時の商品のプレゼンの機会を利用
・ 発注者の業務の繁忙期
業種によって効く先が違うので、7つとも載せました。東海3県は2026年10月1日に最低賃金が変わりますから、3つめ「最低賃金の引上げ幅の方向性が判明した後」は、いま当てはまります。日付が入った時点で、今日の1手は完了です。
参考までに、名古屋商工会議所の調査では、人件費を他のコストと正確に切り分けて示し説明できている企業は13.9%(811社中113社)でした。おおよその割合で示している企業が342社、切り分けていない・できていない企業が356社です。つまり、正確に切り分けられている会社のほうが少数です。同会議所は、人件費を正確に切り分けて算出するのが難しい場合でも、公表されている資料を使って説明するところから始めるよう、受注者に勧めています。あわせて、これは受注者側だけで解決できる話ではなく、発注する側の行動が変わることや、取引全体が適正になることも要る、とも書いています。
東海の中小企業のほとんどは、受ける側と買う側の両方の立場を持っています。ここは、買う側としてのあなたへ。
確かめることは1つです。「自社は、取引先に原価の内訳を出させていないか」。指針が買う側に求めているのは、説明や資料を求めるなら公表資料に基づくものとし、受注者が公表資料を使って提示した希望価格は合理的な根拠があるものとして尊重すること、でした(前掲)。
誤解のないように書き添えます。指針は、説明や資料を求めること自体を問題だとはしていません。社内の決裁を通すために理由の説明や根拠資料を求めること自体に問題はないとしたうえで、過度に詳細な理由の説明や根拠資料を求めたり、受注者が明らかにしたくない内部情報を求めたりすることが、受注者に転嫁の要請を断念させることにつながり得る、と書いています。
先ほどの取組事例には、受注者からの申請から一定期間たっても価格が変わっていない場合に、調達担当者に対し、受注者に必要以上に資料を要求していないか確認し、必要のない情報を求めないよう指示している、という生産用機械器具製造業の例もありました。やるべきことは自社を責めることではなく、この1点を確かめることです。そして、これは受ける側としての1手と同じ線の上にあります。受ける側が根拠に公表資料を使ってよいということは、買う側も公表資料に基づいて求めればよい、ということです。1本の線が、両方の立場に効きます。
「通った」で終わらせないでください。指針は、買う側の行動②としてこう書いています。
受注者から労務費の上昇分に係る取引価格の引上げを求められていなくても、業界の慣行に応じて1年に1回や半年に1回など定期的に労務費の転嫁について発注者から協議の場を設けること。
特に長年価格が据え置かれてきた取引や、スポット取引と称して長年同じ価格で更新されているような取引においては転嫁について協議が必要であることに留意が必要である。
一度通ったということは、話が通じる相手だということです。次に話す時期が決まっているかどうかを、今日の4行のついでに確かめてください。決まっていないなら、それが次の1手です。
以前、「安く請けるのは『やさしさ』ではない|中小企業の値決めの基本」という記事を書きました。あれは自社の側から見た値決めの話でした。
今日の記事は、その続きです。同じ据え置きの見積が、相手側からはどう見えているか。国の調査によれば、「協議するまでもなく、当然にコスト上昇分が含まれている」と見えていました。やさしさのつもりで据え置いた価格が、相手には「困っていない」という合図として届いている。これが、2つの記事をつないだときに見える一番の学びだと思います。
最後に、私の立場をお伝えしておきます。私は、取引先との価格交渉に立ち会ったり、値上げの交渉を代わりに行ったりはしません。その取引が法律の上でどう評価されるかの判断もしません。私が有償のご支援としてお引き受けするのは、どの取引先と・何を根拠に・いつ話すかを決めるために、自社の数字と公表資料を突き合わせて整理する部分です。ここは有償のご支援になります。無料でお受けしているのは、次にご案内する初回面談(90分程度)までです。
値上げの話を、どの取引先から・何を根拠に始めるか。ここで手が止まっている方は、無料相談はこちらのお問い合わせフォームからお知らせください。初回面談(90分程度)で伺うのは、現状とお困りごとです。そのうえで、新たな投資が不要と判断すれば、その旨を誠実にお伝えします。実際に手を動かす部分をご依頼いただく場合は、有償のご支援としてお引き受けします。
※本記事の数値は、2026年9月18日時点で各公表元が公開している資料に記載のものです。統計は更新されます。最新の数値は、それぞれの公表元でご確認ください。
※私は、何に・どう投資するかの交通整理(マーケティング支援)を担います。独占禁止法や取適法に当たるかどうかといった個別の法的判断、税務の判断は行いません。公正取引委員会や中小企業庁が設けている相談窓口、弁護士・税理士など該当分野の専門家にご確認ください。